今年の年越しは
サントリーホール ジルヴェスター・コンサート 2016-2017
に行ってきます。一人です。プロの独身なので。僕にはガッキーがいないので。(涙声でピアニッシモ)
ビッキー・ホリディです。
なんやかんやで昨日、ダリ展に行ってきました。鬼のように混んでました。
シュールレアリスムってなんなんだよ!そこんとこ早くハッキリさせてよ!オレ、3時までに銀行行かなきゃいけないんだよ!って感じでシュールレアリスムには前々から興味があったので行けてよかったです。
で、まあ、実際にシュールレアリスムと言われる絵画を見てみて、なにがわかったのかと訊かれれば、さあ、としか言えないのですが、オミヤゲコーナーに岩波文庫のアンドレ・ブルトン『シュルレアリスム宣言 溶ける魚』が置いてあったので思わず買いました。
シュルレアリスム宣言ってなんだよ!そこんとこ早くハッキリさせてよ!オレ(以下略
って感じで、読んでみたかったので。
読んで思ったのが、絵画のシュールレアリスムと小説のシュールレアリスムって少しニュアンスが違うのかな、と。
ダリの絵は一見めちゃくちゃに見えても実はこういう構想があるんだよ、みたいなのがある(らしい)のですが、『シュルレアリスム宣言』では構想を否定しているんですよ。
じゃあ小説のシュールレアリスムってどんなのなんだと、『溶ける魚』を読んでみると、え、これが小説なの?と思わずにはいられないというか。
「自動記述」という、まっさらな頭で、浮かんだ言葉を並べていくという手法が取られているのがこの『溶ける魚』なのですが、要するに思いつきですよね。だから構想もくそもない。テーマも無ければ脈略もない。
たぶん自動記述によって並べられた文章を読んで、そこには意味などないのですが、なんというか読後感のクオリアとでもいうのでしょうか、読者がそれぞれ、ぼんやりとした全体像を思い浮かべて、それを感じればいいのかな、という感じなのですが、まあ正直に言って、読んでいて空しくなります。だって読んでいても意味がないんですから。
『溶ける魚』は全部で32編、およそ100ページほどで、読むのが苦痛というわけではないんですが、↑のとおり全部読んだところでなあ感が、ねえ。
ダリ展に行ったついでに新宿の紀伊國屋書店本店に行きました。ここも混んでいて辟易としてしまって長居はしなかったのですが収穫はありました。
光文社古典新訳文庫のナボコフ『偉業』です。
貝澤哉という方が訳したものなのですが、この人はほかにも『カメラ・オブ・スクーラ』『絶望』とナボコフの作品を訳していて、その翻訳もさることながら解説が非常に親切なんです。「なに!?あそこはそういう意味があったのか!」と毎度驚かせてくれて、得をした気分になります。
『偉業』は今日一日で読んでしまったのですが、「これ、よく翻訳したよなあ……」というのが率直な感想です。なにが偉業ってそれが偉業だよと。
内容は説明しづらいし面倒なので書きませんが、面白かったです。↑2作も過去に読んだのですが、これを読んで改めて「ナボコフってたぶんヤな奴だよな」という印象が強くなりました。でもそんなところが好きです。
……なんだか久しぶりにこんなにしっかりと読書ができたなあと、非常に充実した連休でした。