29歳社畜3年目の自己実現さんの『夢の賞味期限』という記事を読んで、なんだか身につまされた思いになったので、自分の夢について書こうと思います。
僕の夢は、ここでときたま書いたり、コンテンツに「電子書籍」があったりと、一目瞭然なのですが、作家になることです。
実際に小説を書き始めたのは大学入ってからなのですが、小さいころからぼんやりと文章書いて食っていきたいなとは思っていました。
大学では小説を書いてそれをみんなで論評し合うという活動をしているサークルに入って、そこで短編を書いて、ボロクソに言われ。で、また書いてはこき下ろされの繰り返しでした。きちんと人に読んでもらうというのが初めての経験だったので、ものすごく貴重な時間でした。
大学ではそのサークルに向けての短編を書きまくっていたので、公募には1回出しただけです。応募するようになったのはここ2、3年くらいですね。社会人になってからです。
学生のころ、就活するというか、どこかに就職するつもりだ、と友人に話したところ、小説はどうするんだと言われて、仕事しながら書くよと言ったら「覚悟が足りない」と。
よくあるように、社会人になるイコール夢を諦めるという感じだったのでしょう、彼からすれば。その彼はバンドをやっていて、フリーターやりながらバンド活動を続けるようでした。
そのときに「お前は変わっちまった」だの「つまんねえ」だのといろいろ言われましたが、僕からすれば変わることが悪いことだとは思いませんし、つまるつまらないは別にどうでもいい問題でした。
さて、数年後、つまりいまですが、彼は就職して元気に仕事をしています。彼女と同棲もしていて、結婚も視野に入れているようです。バンドはとっくに解散して、たまにアコギを持ってひとりでライブに出ることもありましたが、それももういまではやっていません。
僕は別に彼を非難するつもりはありません。変わっていくことは当たり前のことで、それは成長している証拠なのですから。
ただ、学生のころあれだけ僕のことをくそみそに言っておいて、という気持ちは正直ありますが、いまにして思えば、学生というのは変化することに異常な恐怖感を持っているのでは、と思います。
つまりわかりやすいのが社会人になるということ。いままでのように平日に遊んで、講義をバックれて、それでも誰にも怒られない、そんな中で「自分はこのままでいいのだろうか」「社会に出たらこのままではいられなくなる」と思い悩むわけです。それは夢を持っている人ならなおさらです。仕事に追われて自分の夢どころではなくなるのではないか、と。
幸いにして僕の夢はひとりでどうにかなるものなので、そのへんは問題ないのですが、バンドやらなにやらと、何人かでやるものについては続けるのが一気に難しくなるのは確かです。
とはいえ、僕だってノホホンとしているわけではありません。周りを見れば恋人を作って楽しげにSNSで輝いていたり、結婚したり、子供が生まれたり、仕事で成功していたりと、みんなそれぞれ人生を楽しんでいるのがわかります。それを見ていると、やっぱり「オレはなにをやっているんだろう」と思わなくはないです。
9年も小説を書き続けて、日の目を見ることなく、それでも仕事終わりや休日、はては夜勤中に書いて。たまに友人と会えば「まだ書いてたんだ」とか言われて。
「すごいね」なんて言われますが、その目に侮蔑の色があるのはきっと気のせいではないはずです。酒の席で語るべきこともなく、懇々と相手の仕事の話を聞いていると、そんな気がしてきます。
29歳社畜3年目の自己実現さんの『夢の賞味期限』←この方の夢は格闘技なので、確かに年齢的な問題があります。それに比べれば作家になるというのは賞味期限がないように思います。ただ、そろそろなにかを犠牲にしなければいけない年齢になってきました。
折り合いをつける、っていうんですかね、じゃないとバカに思われます。
まあ、僕はなにを言われても構わないのですが。
いろいろと人生をやらかしているので、それだけでもいろいろ犠牲になっているので。
そうはいってもなんていうんでしょう、だんだん先のことが不安になることはあります。夢を諦める気はありませんが、やっぱり不安にはなります。
不安に思うことなんてないはずなんですけどね。働いてるし、そこそこまっとうに生きてはいるので。とりあえず借金のことは置いておいて。
たぶん寂しいんですかね。夢は違えどお互いに励まし合っていたのに、いつの間にかみんな普通の生活をしていることが。悪いと言っているわけではなく、ただ単純に寂しいのかなあ。
食事はごはんだけ炊いて、缶詰で食べるとかならいいほうで、最悪食べないか、ガムやゼリーでしのいで小説を書いていると、普通の生活がしたいと思うときがあります。調味料しか入っていない冷蔵庫を見ているととてもみじめになってきます。
で、そうやって書いたものだって箸にも棒にもかからないとなると、なんで書いているのかわからなくなってきます。生きるのさえつらくなってきます。
うちには象1頭くらいならたぶん倒せるくらいの睡眠薬などがあるので、いっそのことオーバードーズして措置入院でもしたほうが楽なんじゃないかと思うこともあります。
でも、気がつくと小説のことばかり考えています。
前の会社で外回りをしていたときに、今日契約取れなかったらクビだというときに、僕は仕事をサボって書類の裏に小説を書いていました。
もっと遡れば、病気が発症して、自傷行為なんかやってて、自殺未遂したときも、結局死ななかったのは、「この最悪の状態を小説で書けないかな」と思ったからでした。
そのときのことを考えると、僕にはもうこれしかないんだなと思うんです。いつ夢が叶うかなんてわかりませんが、なんとなく、そのうちなれるだろと思っています。根拠もなく。
絵を描くのは、人生に耐えるための手段だ。
とゴッホが言っていましたが、あるいは僕もそうなのかもしれません。