パクチーを食べてみました。「追いパク」とかいう、パクチーを山盛りにして食べるような人もいるので、これはどれほどの美味な食材なのだろうと、「仕事終わったらパクチーを買って食べる」「仕事終わったらパクチーを買って食べる」とワクワクしていました。
いざ食べてみると、その、うん、なんていうか……まあ、僕が過度に期待していたのが悪いのですが、なんか……って感じでした。たぶんもう食べないでしょう。
ビッキー・ホリディです。
『四月は君の嘘』を観ました。2日かけて一気に観たのですが、やっぱり音楽っていいですね。僕にも音楽の才能とまではいかないまでも、人並みのセンスがあればよかったのになあと思わずにはいられません。
音楽って、やっぱりステージに立つとカッコいいじゃないですか。友人のライブとか観てるとチキショウって思います。それは高校のときに僕もちょっとばかしバンドをやっていたせいもあるのでしょうが、でも僕の場合、ギターもろくすっぽ弾けなければ歌もヘタクソで、ただただ当時の自分のありったけを叫んでいただけなので、果たしてそれを音楽と言えるのかどうか。
それに、ギターのタブ譜を見ただけで、内容は理解できるのですが、頭の中が真っ白になるんですよ。もっと言えばギターを持った瞬間、マイクを握った瞬間、頭の中が真っ白になるんです。なにをしていいのかがわからなくなる。散々聴き込んでいたはずなのに、それなりに練習だってしてきたはずなのに。高校生のときはそれをノリと勢いでごまかしていましたが、真剣にやるとなると、僕には致命的に音楽のセンスがありません。なので諦めました。
だからってわけじゃないんですが、いまは小説を書いてます。もともと小学校の作文の授業とか好きだったし、中学生のころはテキストサイトで毎日更新してましたし。毎日ですよ。いまとなってはこの体たらくですが、高校で統合失調症になって閉鎖するまではずっと書いてました。
小学生のころだったかな、学校の先生やそろばん塾の先生とか、いろんな人から文章を褒められて、「お前には文才がある」とか言われてたんですよ。本当に文才があるのかどうかはいまでも疑わしいですが、まあでも喋るよりは得意かなあとは思います。音楽と一緒で喋るのが致命的に苦手で。その比較なので、文才なんて僕は信じていません。あったらいまごろ印税で暮らしてます。
でも初めて人から自分のなにかを褒められたのがそれだったので、調子に乗って作文を書く機会があるときには張り切って書いていたのを覚えています。作家を目指しているのもその延長線上なんですよね。最初はコラムニストとかエッセイストとか、そういう文章を書いて食べていきたいなーなんて思っていたのですが、『エッセイストになるには』みたいな本を図書室で読んだら「まず有名になってください」と。要するに「無名のエッセイなんか誰が興味を持つんだヴォケ」ってことです。なるほど、と当時の僕は思い、よしじゃあ小説を書こうと。ナメくさってますよねー。各方面の人たちから半殺しにされそうです。
大学に入って、本格的に小説を書き始めて、いろんな本を読むようになって、いまではエッセイストの夢は消え失せて、小説を書きたいと思っています。
『四月は君の嘘』の公生といい、『のだめカンタービレ』の千秋様やのだめといい、作品では割とサクッと描写されていますが、共通しているのはみんな「ぶっ倒れるまで練習している」んですよね。生活なんてそっちのけで自分の好きなことにのめりこんでいる。
そういう作品を観るたびに「オレはなんにもしてねえなあ」「やべえなあ」って思うんですよ。言い訳をすれば文章も構成もちょっとしたアイデアもなにも浮かばないときにそういう作品を観るので、焦燥感に駆られるのは当たり前っちゃ当たり前なのですが、でも事実、僕はなにもしていない。
去年は結局1作も完成できなかったし、今年に入っても本すらろくに開かない生活です。
それも遡ればおととし、債務整理して、バイトを始めて、休日なんてろくになく、精神的にも経済的にも追い詰められていたのが、まあ、はっきりとした原因なのですが、バイトに当てていた時間を小説に使いたかった……んなこと言ってもしょうがないんですけど。
今年に入ってバイトしないでもなんとかなるようになったので、よしじゃあこれで小説が書ける!と思ったのですが、そんなに世の中甘くはない。
頭の中が真っ白なんですよね。
書きたいこと、伝えたいことははっきりとしてきたのに、いざwordを開くとなにも書けない。浮かばない。どうしようもない。焦りばかりがつのり、結局保存せずに閉じるという。
去年の6月あたりから薬が増えて、いま徐々に減らしているところなのですが、思い返すと、自分の思っていた以上に精神的なダメージがでかかったのかなと。たぶんいま、ある種の燃え尽き症候群みたいな感じなのだと思います。
そろそろちょっとしたアイデアとかないかなあなんて考えたいのですが(常日頃から考えてはいるのですが、形になるよう本格的に)、ダメですねえ。
とはいえ、やっと精神的にも調子が戻ってきて、外に出られるようになりましたし、人と会話ができるようにもなりました。本当にそのレベルなんです。だからゆっくり、少しずつ、焦らないでやっていこうかなと思っているのですが、反面、このまま諦めちゃったほうが楽なのかなあとか思うんですよね。
友人は次々と結婚するし、中には子どもができた人もいるなか、オレはなにやってるんだろうと。
一応ちゃんと仕事もしてるし、別に小説なんて書かないでも死ぬことはない。むしろ変なしがらみから抜け出せるんじゃないか、なんて。
――なんて思っているところに、友人、自費出版した『ヤーレン・シャッフル』の解説を書いてくれた文学者で、いまでは立派なママの友人からLINEが来て。その友人の先生が取材を受けたらしく、そのネットの記事を送ってくれて、「こんな公募もあるから、送ってみれば?」みたいな感じで。
別にそれまでやりとりしていたわけでもなく、こうやって愚痴を漏らしていたわけでもなく、唐突に、しかもそのタイミングで来たんですよ。から恐ろしくなると同時に笑っちゃいましたね。小学生のころから僕のことを認めてくれていて、作家を目指すと言えばいつも全力で応援してくれて、いまじゃ遥か遠くの日本近代文学の学者先生ですよ。そんな人に僕はノーギャラで解説を書かせたんですよ。もうダメだ、って思いましたね。
この人だけは裏切っちゃいけないと。もうダメだ、諦められない、と。それだけじゃなく、そのときに送ってきてくれた公募が面白いもので、小説の二次創作の公募なんですよ。僕にはまるで触れたことのない世界で、これは面白そうだと、気がついたら家の本棚から資料になりそうな本を片っ端からかき集めて、それを読みあさって、気がついたことはノートにメモを取ってと、急に忙しくなりました。
仕事に行く前、帰ってきてから、休みの日、考えているのは小説のことだけでした。不思議とそういうときって眠くならないんですよね。よく「寝る間も惜しんで」とか言いますが、僕は惜しむんじゃなくてそもそも欲求が無くなるので、その点では便利な身体です。
それも残念ながらいまはぷっつりと糸が切れてしまい、冒頭に書いたようにいまはアニメをひたすら観ている日々です。でも、やっぱり書きたいっていう気持ちはありますし、諦める気は、いまでは毛頭無くなりました。
追い込めばできるのはわかっています。実質2週間で350枚書いたときもありましたし。そのときは食事はウィダーインゼリーとガムでした。一日10時間くらいはパソコンに向かってました。一次選考で落ちました。
それからもおととしまではコンスタントに書いていて、ことごとく一次選考で落ちてます。なのでやっぱり僕は文才なんて信じていません。あるのは書きたいってことと小説が好きだってことだけです。でもそれだけではただのマスターベーションです。一次選考で落ちる所以はそこだと思っています。
コンテンツの「小説」をkindleから縦読み文庫に移して、この間初めて感想をいただきました。
感想ってのはありがたいですね。励みになりますし、勉強にもなります。本当に嬉しかったです。一次選考で落ちたけど、供養のつもりで上げていただけでしたけど、それでも報われた気持ちになりました。
正直、まだ本調子ではなく、体調と相談しながらですが、うまく付き合いながらがんばって書いていこうと思います。
グダグダとまとまりのない文章を書きましたが、どうかご容赦を。いまの僕にはたぶんこういうことを書くことから始めたほうがいいのかなと思ったので書き散らかしました。
いままではこういう文章すら書けなかったので、もう、リハビリですよね。文章的にも精神的にも。
早く小説が書きたーーーーーーーーーーーい!!!!!!!!!