今日の日想はvts企画、共通テーマ(「青春時代」)で書きたいと思います。
ビッキー・ホリディです。
青春時代といえばやっぱり高校生のころですね。大学では統合失調症の急性期~回復期で散々だったので。まあ、そんななか小説書いたり本を読んだりはしてたので無駄な4年間というわけではなかったとは思うのですが。
高校の部活で軽音楽部に入ってたんですよ。
それでギターを始めて。で、どうにかコードを鳴らすくらいまではいけたのですが、問題はそのあとです。
スコアが読めない。
えっ、ギターってコードを弾いてればいいんじゃないの?なにこの弦を一本だけちょこまか弾きまくる部分。ソロ?これがソロってやつなの?
とテンパりまくり、僕からすればロードオブメジャーの『僕らだけの歌』もストラトヴァリウスやMr.Bigのレベルと大差ありませんでした。つまりまったく弾けない。
なのでヴォーカルをやることになったのですが、音楽なんてサザンを家のラジカセの前でただひたすら聴いていただけで、カラオケとかそういう声を発することをしたことがなかったので、これもまたわけがわからず。
先輩「このキーボードの音と同じ声を出してみて」
僕 「わかりました」
(声を出す)
先輩「……これFだよ。君のはA。全然違うよ。もっとちゃんと聴いて」
は?なにを言ってんだこいつは(先輩です)。なんだFって。あれか、バレーコードのやつでなんとか押さえられるけど、あれのことか。で、Fの音を出せってなんだ。オレはギターじゃねえんだぞ。
結局、バンドは解散し、高1の後半から高2の終わりまでローディーをやってました。
バンドが無けりゃやることもなく、ただひたすら文化祭や企画などでライブをやるとなると機材を運んだり、セッティングをしたりして。それを後輩ができてからもやってました。後輩はみんなバリバリギターをかき鳴らし、歌はうまいし、まさにロックンロールでした。
うちの部活の先輩たちは女子が大半でしかも全員かわいかったんですよ。ほんとに。ただそれだけが部活に行く理由だったといっても過言ではありません。そんな先輩たちも後輩のバンドに夢中になり、僕はローディー。
でもそんな僕にもなんか知らないけど彼女がいたんですよ。めっちゃ歌がうまくて、めっちゃかわいい彼女が。で、やっぱりいいところを見せたいじゃないですか。ライブやってカッコいいところを。ローディーなんかやってる場合じゃないんですよ。
しかしそれも叶わず、1年で別れました。不甲斐ない、不甲斐ないと思っていました。
そんな僕に、友達が「これ聴いてみなよ」と勧められたのがセックス・ピストルズ。
CDを買って聴きました。軍靴の鳴る音からジョニー・ロットンの引かぬ媚びぬ省みぬのヴォーカルにやられました。そうだ!これだ!自分はこれをやろう!パンクだ!パンクをやろう!と。
しかし、ただピストルズのコピーをするだけじゃ芸がない。もっとこう、オリジナルとはいかないまでも自分なりのパンクをやりたい。
そのころに銀杏BOYZと出会い、これは面白いしすげえバンドだなと、ドップリハマりました。
それからアコギを買ってうわあああと勢いだけで弾いて歌って周りに引かれてみたりと紆余曲折がありました。
それを見るに見かねたのか、親友が「俺がギター弾くから、メンバーを集めろ」と。
奇跡的に30分でメンバーが揃いました。やるのはもちろん銀杏BOYZ。
部活では定期的に学校の視聴覚室でライブをやっていたのですが、それには出ず、年に2回あるライブハウスを貸し切ってのライブにだけ出ようということになり、それに向けてスタジオで練習をしまくり。構成やパフォーマンスも含めていろいろと話し合って、ついにライブハウスで披露することになりました。
最初に僕がステージに上がると観客(ほかの部員がほとんどでしたが)は失笑。
こいつ、またクソみたいなライブやるんじゃねえだろうな、といったような、嘲りのムード。
そしてメンバーが揃い、照明が落ちました。やってやるぞ。
僕「ゆうや~け こやけえの――」
また失笑。でもそんなことはどうでもよかった。
僕「赤とんぼオオオオオオオオオオオ!!!!!!!」
一曲目、『日本人』が始まりました。演奏が始まるとさっきまでのムードは消え去り、モッシュが始まり、咆哮にも似たハイテンションの叫び声があちこちから起こりました。
そして僕は、モニターを踏み台にギターに向かってフライングクロスチョップ。そしてベースにはドロップキック。
不協和音のなか僕は叫び続け転げ回り、『日本人』から『17歳』そして『犬人間』と立て続けのセットリストに会場は興奮しまくってました。歌いながらなぜか服を脱ぎ捨て、パンイチになりライブを続けていると、メンバーもなぜか脱ぎ始めて。半裸のままライブは終わりました。大成功でした。
楽屋に戻ると先輩からめっちゃ褒められて。「もっとこういうのやってよ!」と。顧問からは苦笑いで「これは学校じゃできねえな」と。
それからはそのライブハウスでの企画に出続け、トリを務めるまでになりました。
興奮してマイクを頭に打ち付けて額を切ったこともありました。マイクのヘッドがヘコんで、ライブハウスのスタッフさんから怒られて弁償して。それでもスタッフさんは「いいライブだったよ」と言ってくれました。
そして僕の代が卒業するときのライブでは、僕はギターを弾きました。曲は銀杏の『青春時代』。
セットリストではそれを一番に持っていきました。OB・OGとなった先輩たちや後輩、同級生は拳を挙げて応えてくれ、泣いている人もいました。
いま思えば、というよりあのときからずっと、最高の高校生活だったなと思っています。
でもまだ僕の青春時代は終わっていません。音楽こそやっていませんが、いまは小説を書いています。僕は今度は小説でロックンロールしようと思っています。まだまだ鳴かず飛ばずですが、やめる気はありません。
小説を書き続けていたり、債務事故をやらかしたり、路上朗読をやったり、↑でギターをやっていた奴には「お前のバイタリティはすげえな」と言われます。「なんか、生きてるよな」と。
27になりましたが、僕はまだまだなにかやらかしていたいんですよ。だから、昔のことを「あのときは楽しかったよな」と思い出にふけるのは嫌いなんです。いま、この瞬間も僕にとっては青春時代ですから。
「現代詩手帖」に詩をいくつか送ったのですが、カスりもしませんでした。小説も9月に予選通過発表ですが、おそらくダメでしょう。手応えがまるでありません。つまり僕に才能なんてないんです。でもそれが諦める理由にはなりません。
諦めるには早すぎる。守りに入るのはまだ先でいい。
これからも青春をいつまでも謳歌していようと思います。